中期経営計画の策定で押さえるべき「変わる前提」と「変わらない前提」を整理。VUCA時代の不確実性に対応するシナリオプランニング(ロイヤル・ダッチ・シェルの方法論)、長期パーパスの位置づけ、コロナ・気候変動・地政学リスクを踏まえた策定論点を、経営企画担当者向けに実務視点で整理する。
中期経営計画(中計)は、日本の上場企業のおよそ 9 割が策定している、経営の基幹文書である。しかし、コロナ禍を経て、気候変動・地政学リスク・AI 革命・人口減少が同時並行で進む現代の経営環境では、従来の「3 年間の数値計画」スタイルでは対応しきれない場面が増えてきた。本記事では、中期経営計画の策定で変わらない前提と変わる前提を整理し、VUCA 時代のシナリオプランニング、長期パーパスとの接続、経営企画部の役割変化までを実務視点で整理する。
中期経営計画は、企業が 3〜5 年の中期スパンで描く経営の方向性と数値目標を体系化した文書。標準的な構成は:
東証プライム市場の上場企業の大半が、3 年計画として策定し、ローリングプランで毎年改定する形式を取る。上場企業の約 8 割が中計を策定する一方、経営企画部の約 4 割が「中計を策定すべきか、やめるべきか議論したことがある」と答えた調査もある(スピーダ「中期経営計画の実態調査 2024」)。形だけ作り続ける中計をどう実のあるものにするかが、現場の本音の論点になっている。
中計の策定手順は、企業によって細部は異なるが、骨格は次の7ステップに整理できる。
計画期間は、3ヵ年が約 70%、5ヵ年が約 19% で、両者で約 9 割を占める(タナベコンサルティング調査)。事業の不確実性が高いほど、5年を精緻な数値計画にするのは危うい。長期はレンジ提示やシナリオで示し、直近の年度計画で精度を担保する設計が現実的である。
| 観点 | ローリング方式 | 固定方式 |
|---|---|---|
| 環境適応力 | 高い(毎年織り込み更新) | 低い(期間完了まで据え置き) |
| 投資家への規律 | 緩みやすい(未達を毎年塗り替えられる) | 高い(達成是非が明確) |
| 達成率の実態 | 上方修正が未達リスクを内包 | 下方修正含め達成割合は高いとの研究も |
| 向く企業 | 変化の激しい事業 | コミットメントで規律を示したい企業 |
不確実性が高い近年はローリング方式が主流だが、学術研究では「上方修正・ローリングは実現可能性の低い目標を示唆し、固定・下方修正の方が財務目標の達成割合が高い」という逆説も報告されている。ローリング万能論は割り引いて捉えるのが賢明である。
経営環境がどう変化しても、中期経営計画の核として変わらない前提が 3 つある。
中期経営計画は単なる予算ではなく、「将来のある時点で、自社はどうありたいか」を言語化する文書。投資家・社員・取引先・社会への意思表示でもある。
「ありたい姿」だけでは絵に描いた餅で、それを実現する実行可能な戦略が伴って初めて中計となる。組織体制、投資計画、人材計画、システム計画が必要。
数値目標は重要だが、それだけでは戦略にならない。非財務指標(人的資本、CO2 削減、エンゲージメント)、質的目標(ブランド、文化、イノベーション能力)の位置づけも必要。
これらの基本構造は、戦後一貫して変わっていない。中期経営計画は、企業の長期持続性を担保するための 経営の意思表示として機能してきた。
一方で、コロナ以降、中期経営計画の作り方は質的に変化している。背景にある構造変化を 4 つ整理する。
**Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)**の頭文字を取った VUCA は、1990 年代に米軍で生まれた概念だが、コロナ禍とウクライナ戦争・中東紛争・中台緊張・サプライチェーン分断・気候異常で、ビジネス環境にもそのまま該当するようになった。
「3 年後の市場が予測できない」というのが、現代の経営企画部の率直な感覚である。
TCFD → IFRS S2 / SSBJ の流れで、気候関連リスクを 2050 年まで見通して、中計に組み込むことが求められるようになった。これは中期計画の時間軸を実質的に長期化させる圧力となる。
ロシア・ウクライナ戦争、中東紛争、米中対立、台湾有事リスク。サプライチェーン、エネルギー調達、地政学的安全保障を中計に組み込むことが、製造業・金融・ハイテクで標準化した。
ChatGPT 公開(2022 年)以降、生成 AI が経営計画の前提条件を変えつつある。労働構造、顧客接点、競合構造、コスト構造が、3 年単位で激変する。
これらが同時進行する中で、中期経営計画は**「3 年の精緻な数値計画」から「複数シナリオの幅を持つ戦略文書」**へと、性質が変わってきている。
シナリオプランニングは、複数の未来シナリオを並行で描き、それぞれに対する経営の対応を準備する戦略策定手法。1970 年代にロイヤル・ダッチ・シェル(現 Shell plc)が、第一次オイルショック(1973)を予測する手段として体系化したことで世界に広まった。
第一次オイルショック前夜、シェルは「オイル価格急騰シナリオ」を経営層に提示し、対応策を準備していたため、競合に先んじて危機対応ができた、という歴史的事例として知られる。
これらを 3〜5 のシナリオに整理し、各シナリオに対する **No Regret Action(どのシナリオでも有効な行動)**と **Contingent Action(特定シナリオで有効な行動)**を分けて計画する手法が、現代の中期経営計画の標準スタイルになりつつある。
VUCA 時代に中期経営計画の精度が下がる一方で、「変わらないもの」への注目が高まっている。それが**パーパス(Purpose、企業の存在意義)**である。
詳細は BHAG・ビジョナリーカンパニー、マイケル・ポーターと CSV、経営の重心とフォーカス も参照。
「VUCA だから 3 年も読めない、5 年も読めない、10 年も読めない」── これは結論として「短期に閉じる」のではなく、「長期にフォーカスする」という逆説的な経営判断につながる。
理由:
実際、ソニーグループ、味の素、富士通、SAP など多くの先進企業が、2030 年・2050 年のビジョンを中期経営計画と並列で公表している。中期計画は「長期ビジョンに到達するための直近 3〜5 年の行動計画」として再定位される傾向がある。
中計の財務 KPI 設計を語るうえで避けて通れないのが、東証の要請である。東証は 2023 年 3 月 31 日、プライム・スタンダード上場会社に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請した。2024 年 12 月末時点で、検討中を含めプライム市場の 90% が開示している。
理論的な起点は、2014 年の伊藤レポート(経産省)が掲げた ROE8% 以上という目標であり、2017 年の伊藤レポート 2.0 で PBR1.0 倍超が求められた流れが、現在の中計 KPI 設計の前提になっている。中計では、ROIC・WACC・エクイティスプレッドを財務 KPI に組み込み、ROIC ツリーで現場の KPI まで分解する設計が標準になりつつある。
ただし、開示は進んでも企業価値の改善は道半ばである。2025 年 4 月時点でプライム企業の PBR1 倍割れは全体の 54% に上り、2024 年末比でむしろ 179 社増えた。「資本コスト経営を開示したのに株価が上がらない」というギャップが顕在化し、対応は開示の量から質(実効性)が問われるステージに移っている。東証改革とIRの文脈とあわせて、中計がスローガン倒れにならない設計が問われている。
開示しても企業価値が上がらない最大の理由は、サステナ KPI と財務 KPI が因果でつながっていないことにある。多くの中計で、非財務 KPI は「ESG のページ」に、財務 KPI は「数値計画のページ」に分かれて並び、両者を結ぶ因果が描かれていない。
ここで参照したいのが、エーザイ元 CFO 柳良平氏の「柳モデル」である。重回帰分析により、非財務投資が時間差で企業価値(PBR)に効く「遅延浸透効果」を実証したものだ(エーザイ統合報告書)。
| 非財務投資 | 効果(PBRへの影響) | 顕在化までの時間 |
|---|---|---|
| 人件費を1割増 | PBR +13.8% | 5 年後 |
| 研究開発投資を1割増 | PBR +8.2% | 10 年超 |
| 女性管理職比率を1割改善 | PBR +2.4% | 7 年後 |
| 育児時短勤務制度の利用を1割増 | PBR +3.3% | 9 年後 |
見落とせないのは、いずれも効果が数年〜10年の時間差で現れる点である。これは、非財務投資を中計の時間軸より長いスパンで捉え、マテリアリティ→非財務 KPI→財務 KPI のインパクトパスとして設計すべき根拠になる。中計でこの因果(KPI ツリー)を描けているかが、「絵に描いた餅」と「実効性のある中計」を分ける。
2026 年 3 月 23 日、人的資本可視化指針が改訂され、経営戦略と連動した人材戦略を、測定可能な指標・目標として可視化することが一段と重視された。2026 年 3 月期の有価証券報告書から、経営戦略と連動した人的資本開示が求められる流れと連動している。
この「絵に描いた餅」を防ぐガバナンス装置が、役員報酬への連動である。デロイトの調査では、TOPIX100 企業のうち役員報酬に ESG 要素を反映する企業は 2024 年で 74%(2022 年 52% → 2023 年 66% → 2024 年 74%)と上昇し、米国 S&P500 上位 100 社を上回った。中長期インセンティブ(LTI)での ESG 指標採用も 54% に達する。マテリアリティ→非財務 KPI→役員報酬連動まで一本の線でつなぐことで、サステナ KPI は初めて経営の規律になる。詳細は統合報告書の価値創造ストーリーも参照。
中期経営計画の質的変化に伴い、経営企画部の役割も変化している。
| 旧来の経営企画部 | 現代の経営企画部 |
|---|---|
| 各事業部からのデータ収集 | 経営判断の枠組み設計 |
| 精緻な数値計画策定 | 複数シナリオの構造化 |
| 内部向け資料作成 | 投資家・社会への対外発信 |
| 財務指標中心 | 財務 + 非財務(ESG、人的資本)の統合 |
| 単一の中計サイクル | パーパス × 長期ビジョン × 中計 × 年度計画の階層運営 |
各事業部からのデータ収集・集計で忙殺される旧来型の経営企画部は、戦略の質的な設計にリソースを割けない。データ集計を AI・データ基盤に任せ、経営企画部は戦略的議論のファシリテーターとして機能する組織変革が、多くの先進企業で進んでいる。
本記事の初出は 2020 年、コロナ禍真っ只中の状況だった。当時、中計の修正を余儀なくされた企業が大量に発生し、「コロナの影響を理由に経営計画が遅延・縮小」という構図が一般化した。
しかしその後、当時の経営判断を振り返ると、「コロナの影響なのか、もともと経営に問題があったのか」が切り分けにくい事例が多く、結局のところ「経営の地力が問われた」という総括が業界で共有されている。
2026 年の今、同じ視座で見ると、次の問いが浮かぶ。
AI 革命の影響なのか、もともと経営に問題があったのか、を切り分けて中期経営計画を作れているか。
AI、気候変動、地政学、人口減少 ── これらは「外部環境の悪化」として議論されがちだが、それらの構造変化を機会として捉え直す経営こそが、次の時代に持続する企業の条件になる。中期経営計画は、その意思表示の場である。
Q. 中計の KPI は何個が適切ですか。 数の正解はありませんが、重点戦略ごとに財務 KPI と非財務 KPI を絞り、ROIC ツリーで現場まで分解できる粒度が目安です。指標が多すぎると現場が追えず、形骸化します。
Q. 中計は 3 年と 5 年のどちらにすべきですか。 策定企業の約 7 割が 3 年です。事業の不確実性が高いほど、5 年は精緻な数値計画ではなくレンジ・シナリオで示し、年度計画で精度を担保するのが現実的です。
Q. VUCA で予測不能なのに、中計を作る意味はありますか。 予測の精度ではなく「ありたい姿の意思表示」と「複数シナリオへの備え」に意味があります。短期予測は外れても、脱炭素・人口減少など長期の方向性はむしろ読みやすく、長期にフォーカスする逆説が成り立ちます。
Q. 中計 KPI に非財務指標をどう入れますか。 マテリアリティ→非財務 KPI→財務 KPI のインパクトパスとして因果でつなぎ、役員報酬連動まで設計するのが実効性の鍵です。柳モデルのように、非財務投資は時間差で企業価値に効きます。
Q. 中計が未達のとき、投資家にどう説明しますか。 外部環境の変化と自社固有の要因を切り分けて語れるかが問われます。「環境のせい」で一括りにせず、コントロール可能な部分の打ち手を示すことが信頼につながります。
中期経営計画は、**「ありたい姿の言語化」「実行可能な戦略」「定量化を超えた非財務指標」**という変わらない前提のもと、VUCA・気候・地政学・AI という変わる前提に対応する必要がある。シナリオプランニング、長期パーパス、人的資本・サステナビリティの統合により、中計は「3 年の数値計画」から「長期ビジョンに連動する戦略文書」へと進化している。
経営企画部の役割も、データ集計から戦略設計のファシリテーションへと変化しており、AI・データ基盤を活用しつつ、人間が戦略的議論にフォーカスする体制への移行が求められる。
中期経営計画策定、長期ビジョン策定、シナリオプランニング、パーパス策定の支援が必要な場面では、当サイト運営元の株式会社KI Strategy、およびサステナビリティ専門家マッチングサービスSasla もご活用いただける。
本記事は2026年5月時点で再構成した。中期経営計画・長期戦略策定の方法論は進化を続ける領域なので、各種コンサルファーム・経営学術誌・経済産業省ガイダンスの最新リソースも併せて参照することを推奨する。
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