脱炭素を進めるほど、現場では「割を食う人」が出てきます。Just Transitionは、そこに目を背けない移行設計のことです。ILO起源の概念がパリ協定・GBF・CSRD ESRSへ広がった経緯と、日本企業が縮小事業・地域・サプライヤーで実務に落とすときの考え方を、担当者向けに取り扱う。
ESG・サステナビリティーのテーマは、ここ数年で気候、自然、人権、人的資本と広がってきましたが、その全部に裏側でくっついている論点が、Just Transition(公正な移行)です。日本語にすると少し堅い言葉ですが、要は「脱炭素や事業転換を進めるなかで、特定の労働者・地域・サプライヤーが一方的に割を食う構造を放置しないように設計し直そう」ということです。
少し前までは「気候の議論に労働や地域を持ち込むと話が広がりすぎる」という空気もあったように思いますが、最近のご相談の現場感では、むしろ逆のほうが目立ちます。脱炭素の数字だけ追いかけて、その横で工場の閉鎖計画が走り、地元紙には「○○、人員削減へ」の見出しが並ぶ、というちぐはぐが、社外のステークホルダーにすぐ見抜かれてしまうのです。
最近頂くご相談も、脱炭素ロードマップを更新したが特定事業所の縮小判断とどう統合すべきか、労働組合との協議をいつ・どこまで前倒しすればよいか、サプライヤー側で雇用への波及がありそうな転換はどこまでこちらの責任範囲か、統合報告書のサステナビリティー章にJust Transitionをどう書くべきか、といった、移行の「人と地域の側」に踏み込んだものが増えてきました。以下では、こうした論点に向き合っている担当者の方向けに、概念整理と実務の落とし込み、形骸化しないための設計まで、一通り通します。
Just Transitionという言葉自体は、もとをたどると1970〜80年代のアメリカの労働運動、特に化学・原子力・石炭などの労働組合系から出てきた、と言われています。「環境規制の強化はいいが、それで職を失う労働者の保護はどうするのか」という、もっぱら労働側の問題提起でした。
そこから国際枠組みに乗り、次のように広がってきました。
という流れで、労働運動の語彙が、気候・自然・企業のサステナビリティー戦略の主要評価軸まで上がってきました。
つまり「気候の話に、人権・労働をくっつけた付け足し」ではなく、「移行の正統性そのものを問う中核論点」として位置づけが変わってきている、と読むほうが現実に近いと思います。
国際的な枠組みの話だけだと、ピンと来ない担当者の方も多いはずです。日本企業の現場で、Just Transitionが特に効いてくるのは、私の体感ですと次の3つの場面です。
ひとつめは、縮小・撤退事業の従業員の扱い。脱炭素計画と事業ポートフォリオの見直しを真面目にやると、内燃機関関連、石炭火力、特定の有機溶剤、パーム油・カカオなどの森林破壊リスクが高い原材料、こうした領域で段階的撤退の判断が出てきます。社外向けには「ネットゼロにコミット」と書きながら、社内では事業所の閉鎖や配置転換が静かに進む、という二枚舌構造が、機関投資家・労働組合・メディアの目には案外早く露呈します。
ふたつめは、地域経済との関係です。地方都市で、特定の工場が地域の主要雇用と税収を支えている、というケースは日本の製造業では珍しくありません。事業転換は、雇用だけでなく、地域の中小サプライヤー、関連サービス業、教育機関、自治体財政、商店街にまで波及します。「広報の仕事」ではなく、転換が現場で動くかどうかを左右する経営課題として、地域対話を扱い直す必要があります。
みっつめは、サプライヤー側の労働影響です。自社が脱炭素や人権DDの要請を強めるほど、対応コストの転嫁、調達先切り替え、最悪の場合は取引停止といった形で、サプライヤー側の雇用・労働条件に波及します。当メディアの過去記事「サプライヤーにカーボンニュートラル要請を出す側になる時の落とし穴」「CSDDD適用範囲外でも準備が要る」とも、論点として直結します。
3つに共通するのは、「自社のScopeの線引きでは見えてこない人と地域の影響」を、戦略の中で意識的に引き受けるかどうかです。
Just Transitionに関連するフレームは、ここ数年で急増しました。担当者の方が全部追いかけると確実に消耗するので、自社の最初の取っ掛かりとしては、電力・自動車・石油ガス・食品など主要セクターで企業ごとの取り組みをベンチマーク評価し自社の相対位置が見えるWBA(World Benchmarking Alliance)の「Just Transition Assessment」、Just Transitionが独立評価項目として組み込まれ機関投資家との対話で参照されることが多いClimate Action 100+ Net Zero Company Benchmark、影響マテリアリティと移行影響の論点整理に有効なESRS S1〜S3の3つに絞るのが現実的かと思います。
ここから先に進むときに、ILO Guidelines(労働政策の原典)、英国TPT Disclosure Framework(2023年10月公表、後にIFRS財団へ移管)、GFANZのNet-Zero Transition Plan指針、JTI(Just Transition Initiative:CSIS/CIFが共同運営)あたりに広げると、議論の深さが一段階上がります。
Just Transitionの実装で、最初に取り組むべきなのは、移行影響アセスメントを移行計画ドキュメントの中心に据えることだと考えています。脇役の付録ではなく、ということです。
具体的には、自社の脱炭素・自然関連戦略に伴って、どの事業・拠点・職種・地域・サプライヤー群が影響を受けるか、影響の方向性は雇用減か職種転換か調達先切り替えか、タイムラインは1年・3年・5年・10年でどう動くか、影響の規模は人数・賃金総額・地域経済波及・サプライヤー売上等でどの程度か、を社内で見える形に落としておきます。これがないままネットゼロのロードマップだけ立派に作ると、開示は形だけ、現場は無策、という典型パターンに着地します。
内燃機関関連の事業を持つご支援先では、移行影響マップを5年・10年の二層で作り、職種別・事業所別・地域別の影響を経営会議の定例議題に上げる動線を作りました。地味な作業ですが、これがあるとないとで、その後の労使対話・地域対話・投資家対話の解像度が、丸ごと変わります。
ESRSのS1要件にもありますが、Just Transitionの観点で重要な意思決定は、労働者代表との事前協議が前提になります。日本の場合、労使協議会という伝統的な枠組みはあるのですが、移行計画策定の段階から組合を巻き込んでいるケースは、実はそれほど多くありません。
実務として効くのは、決まってから「報告」するのではなく移行計画の策定段階で意見聴取すること、年次の進捗共有とフィードバックの場、職種転換・リスキリング計画への労働者参画、グローバル展開している場合はグローバル・フレームワーク・アグリーメント(GFA)での横断的合意、このあたりです。
先ほどの内燃機関関連事業を持つご支援先では、移行協議委員会を新設し、四半期に一度、移行計画の進捗・課題を労働組合代表と議論する場を運用しています。最初の半年は「会議のための会議」感が抜けませんでしたが、1年経ったあたりから、現場発の課題(再就職支援の制度設計の細部など)が議題に上がるようになり、運用が本物になっていきました。
地域との対話は、長らくCSR・社会貢献の枠組みで運用されてきた企業が多いと思います。ただ、Just Transitionの観点では、これを戦略の本筋に組み入れる、という発想の転換が必要です。
地域コミュニティ対話の論点は、たとえば、雇用・税収・関連産業への波及効果の定量分析、地域人材の採用・教育投資の数値化と長期コミット、地元教育機関・職業訓練校との連携によるリスキリング、地域NPO・自治体・商工会議所との定期協議の場の設置、といったものです。寄付や見学会の延長線上ではなく、自社の事業転換と地域経済の動線をどう同期させるか、という設計の話になります。
ここに踏み込むと、サステナビリティー部門だけでは絶対に動けないことが、すぐ分かります。経営企画、人事、地域営業、広報、IR、それから現場の事業所長まで、横串で動かす必要があります。
「移行で職を失う人を、別の職にどう繋ぐか」は、Just Transitionの最も具体的な論点ですが、ここで形だけになりやすいのは、施策が一律になっているケースです。ご支援先で実装した三層構造をひとつ挙げます。
人材版伊藤レポート2.0が示す「動的な人材ポートフォリオ」「As is-To beギャップ」のフレームを、Just Transitionの文脈に翻訳して使うと、社内の人事戦略との接続が滑らかになります。リスキリングKPIを、人的資本開示と同じ動線で経年管理する設計にすると、開示・運用の両輪が揃います。
弊社の過去記事「気候訴訟リスクとガバナンス」でも触れましたが、近年の気候・グリーンウォッシュ系訴訟、株主代表訴訟では、自社のネットゼロ宣言と特定事業所の閉鎖プロセスとの整合性、サプライチェーン上の労働環境問題(強制労働、児童労働、移民労働者の労働条件)、移行計画における労働者代表との事前協議の欠如、地域コミュニティへの影響評価の不足、といった論点が争点として持ち込まれるケースが、世界的に増えています。米コロンビア大学Sabin CenterとLSE Granthamの気候訴訟データベースでも、企業を被告とする訴訟比率は上昇傾向で、Just Transition関連の論点も今後増える方向と見ています。
「気候は対応した、でも人と地域は後回し」という戦略は、実は訴訟リスクを上げる方向に効きます。守りの観点からも、Just Transitionは無視できないテーマです。
ご支援の現場で「これは形だけだな」と感じるのは、ネットゼロ宣言の文書に最後の段落で「Just Transitionに配慮します」と一文だけ添える、労働組合との対話を年に一度の形式的な報告会で済ませている、地域コミュニティ対話をCSR広報のスケジュールに組み込んだまま戦略議論に乗ってこない、リスキリング投資の数値目標を立てず現場部門に丸投げ、サプライヤー側の影響を自社のScope外として議論の対象から外している、といったパターンです。これらは、開示としては成立してしまうのですが、Just Transitionが組織の意思決定を変える機能を、まったく果たしません。
担当者の方には、
このあたりを、最初の1〜2年で動かしておくことをおすすめしています。
5年前、10年前のサステナビリティー戦略は、CO2排出量とCDPスコアと社会貢献活動を並べておけば、それなりに格好がついた、という時代がありました。
その延長で「気候+自然」へ拡張した会社が、ここ数年で増えました。
次の拡張線が、「気候+自然+人と地域の公正な移行」です。Just Transitionは、そのための主要な道具のひとつです。
形だけ取り組むか、自社の戦略の真ん中に置き直すか。担当者の方の意識付けで、その後の数年の戦略の幅と深さが、確かに変わってきます。
【ご相談窓口】 弊社(株式会社KI Strategy)では、Just Transitionの実装支援、移行計画・人的資本・地域戦略の統合的な伴走を実施しています(専門家プラットフォームSasla経由のご相談も可)。脱炭素戦略と人・地域の論点をどう繋ぐかでお悩みの方は、論点の棚卸しからご一緒します。
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