「海外は後退している」の一言で、社内の推進が止まる。だが現在地を正確に見ると、後退と前進は同時進行だ。反ESGは新リスクではなく、もとからある「やめたい力」を増幅する装置——その診断と、何を捨て何を守るかの判断軸を示す。
「海外でもESGは終わったらしいじゃないか」——役員会でこの一言が出た瞬間、推進担当者の足元が崩れる。私たちが相談の現場でこの一年もっとも多く受けたのは、制度の質問ではなく、この種の「社内が止まる」相談だった。トランプ政権のパリ協定離脱、米銀のネットゼロ枠組み脱退、EUのCSRD縮小。見出しは確かに後退一色に見える。
ただ、そこで起きているのは多くの場合「新しいリスクの発生」ではない。もともと社内にあった「できればやめたい」という力に、外部ニュースが正当化の根拠を供給している——これが私たちの診断だ。外圧に追随して始めたサステナ推進は、外圧が緩むと支柱を失う。だから問うべきは「海外はどうなったか」ではなく、「自社は何を後退させてよく、何は死守するのか」。本稿はその逆算の手順を組み立てる。
まず景色を正確にする。反ESGを一枚岩の「後退」と捉えるのが、最初の誤りだ。地域ごとに方向が割れている。
| 地域 | 連邦・域内の動き | だが残っている/前進している部分 |
|---|---|---|
| 米国 | 連邦が後退(パリ協定再離脱、SEC気候開示規則の事実上停止) | 州は前進。カリフォルニアの気候開示法が非米国企業にも及ぶ |
| 欧州 | Omnibusで対象を約8割縮小 | 中核の枠組みは存続。大企業の開示・保証義務は残る |
| 日本 | 後退要素はほぼ無し | SSBJ義務化が予定どおり前進(延期されていない) |
米国は、トランプ大統領が2025年1月20日の就任直後にパリ協定離脱の大統領令へ署名し、米大手銀6行は2024年12月から2025年1月にかけて相次いでネットゼロ・バンキング・アライアンス(NZBA)から脱退した(脱炭素技術センター)。「DEI」などの文言を年次報告書で用いる企業は2024年の約9割から大きく減ったとの整理もある(KPMGジャパン)。用語を避ける動きは確かに広がった。連邦レベルだけ見れば、退潮に映る。
ところが州レベルは逆を向く。カリフォルニア州のSB253(気候企業データ説明責任法)は、年間売上10億ドル超で同州で事業を行う企業に対しScope1・2の排出量報告を義務づけ、初回報告期限を2026年8月10日に設定した(Sustainable Japan)。SB261(気候関連財務リスク法)は売上5億ドル超が対象だ(Persefoni)。ただしSB261は2025年11月に連邦控訴裁(第9巡回区)が執行差し止めを命じて係争中で、SB253のScope1・2報告義務は差し止められず存続している。州法もまた揺れてはいるが、いずれも米国子会社や調達を通じて日本企業に及ぶ。「連邦が緩んだ=米国全体が緩んだ」という読みは、ここで破綻する。
欧州はOmnibus(簡素化パッケージ)で対象を縮小したが、消滅したわけではない。欧州議会が2025年12月16日、理事会が2026年2月24日に採択し、CSRDの対象は「従業員1,000人超かつ純売上高4.5億ユーロ超」に絞られ、現行対象の約8割が適用外となる見込みだ(デロイト トーマツ)。だが、本当に大きな企業の開示・保証義務という中核は残った。縮小と廃止はまったく違う。Omnibus後にどう動くかはCSRDの継続・撤退判断で別途整理している。
そして国内。後退論のなかでもっとも誤解されているのが、ここだ。SSBJ義務化は延期されていない。 開示府令(企業内容等の開示に関する内閣府令 等)は当初の2026年1月中目標から約1か月遅れたものの、2026年2月20日に公布・即日施行された(金融庁)。平均時価総額3兆円以上は2027年3月期、1兆円以上3兆円未満は2028年3月期からSSBJ基準の適用が義務づけられる(大和総研)。海外の後退論と、国内の法的義務のスケジュールは、連動していない。
私たちが反ESGを「新リスク」と呼ばない理由はここにある。バックラッシュそのものが、新しい義務や罰則を日本企業に課したわけではない。起きているのは、社内にもとからあった力学の増幅だ。
サステナ推進が「外圧——取引先要請・投資家の声・横並び——に追随して始まった」組織ほど、この増幅に弱い。なぜ始めたかが「外が求めるから」だけだと、外が緩んだ瞬間に「では、やめてよいのでは」という声に抗う論拠が社内に存在しない。予算削減のタイミング、人事異動、業績悪化。それらと反ESGニュースが結びつくと、「やめたい力」は一気に正当化される。私たちが見てきた停滞のほとんどは、外圧の消滅ではなく、自社固有の理由を言語化してこなかったツケとして現れていた。
逆に言えば、対処は明快だ。海外ニュースに反論する必要はない。自社が止めてはいけない取り組みについて、外圧とは独立した、自社固有の論拠を一つでも用意しておけばいい。それさえあれば、後退論は単なる外部環境の一情報に格下げされる。
「全部やる」も「全部やめる」も意思決定ではない。反ESG局面でやるべきは、取り組みを棚卸しし、各項目を「死守」「縮小」「保留」に仕分けることだ。仕分けの基準は、流行ではなく、自社の事業に直接効く4つの力で測る。
軸1:取引先・調達からの要請 最大手顧客やグローバルサプライチェーンから、CO2排出量データやEcoVadis評価、人権デューデリの回答を求められているか。求められているなら、それは「ESGトレンド」ではなく取引条件だ。反ESGとは無関係に死守する。環境省も、二次データでは削減努力が反映されない問題を公式に認め、一次データへの段階移行を推奨している(一次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド Ver1.0)。取引先要請がある以上、Scope3のデータ整備は止められない。
軸2:開示義務(資本市場) 自社の平均時価総額がSSBJ義務化区分(3兆円/1兆円)に入るか。入るなら、これは法的義務であって裁量の余地はない。区分外でも、それに次ぐ規模の層へ対象を広げる方針整理が進んでおり、プライム上場である限り「いずれ来る」前提で土台を作る方が安い。義務化の段階や対象規模の整理はSSBJ解説に譲る。
軸3:資本コスト・格付け ESGスコアや格付けが資金調達条件・株主構成に効いているか。ここは外圧と内圧の境界が曖昧で、議論が割れやすい。だが、機関投資家のスチュワードシップ要請やインデックス採用基準は、米国の連邦政策が緩んでも独立に動く。後退の根拠として最も弱いのが、実はこの軸だ。
軸4:人材 採用・定着で、サステナビリティへの姿勢が効いているか。若手・専門人材の採用面接で問われる場面が増えているなら、開示を黙る選択(グリーンハッシング)は人材面で逆風になる。
この4軸のうち1つでも「効いている」項目は死守、どれも効いていない項目は縮小・保留。これが、海外ニュースに左右されない仕分けの骨格になる。役員に説明するときも、「世界の潮流」ではなく「当社の取引先A社が要請」「当社は時価総額○円で2028年3月期から義務」と、自社固有の事実で語る。役員説明の翻訳の型はESGを取締役会の言語へで詳述した。
後退局面で起きやすいのが、開示そのものを控える動き——グリーンハッシングだ。誇大表示(グリーンウォッシュ)批判を恐れて口をつぐむ。一見すると安全策に見える。
だが、これは別のリスクへの移動にすぎない。サステナ専任者を置く大企業を対象としたSouth Poleの調査(2022年)では、約4分の1(One in four)が科学的根拠に基づく削減目標を設定しながら、それを公表しない「going green, then going dark」傾向にあると報告されている(South Pole。※母集団は全上場企業ではなく、もともと気候対策に積極的な大企業である点に注意)。黙れば、取引先審査・格付け・人材からの説明要求に応えられなくなる。安全策が、別の場所で穴を開ける。
正解は「全部語る」でも「全部黙る」でもない。確度の高い事実に絞って語り、まだ言えないことは言わないという線引きだ。約束していない目標を語らない、検証できる数値だけ出す、未達は未達と書く。この線引きの実務はグリーンハッシングの線引きで扱っている。沈黙ではなく、節度ある開示こそが反ESG局面の守りになる。
反ESGは、日本企業に新しい義務を課したわけではない。連邦が退いても州は進み、欧州は縮小しても中核は残り、国内のSSBJ義務化は2026年2月20日の府令公布で予定どおり前進した。後退論が壊すのは制度ではなく、自社固有の論拠を持たない組織の支柱のほうだ。
だから守りの本質は、海外ニュースへの反論ではない。取引・調達・開示義務・資本コスト・人材の4軸で取り組みを仕分け、「効いている」項目を自社の言葉で死守すること。外圧から始めた推進を、外圧が消えても続けられる「自社の理由」に置き換える作業である。
どの項目を死守し、どこは縮小してよいか。この線引きは社内の力学が絡むため、当事者だけでは決め切れないことが少なくない。第三者の視点が要る局面では、当サイト運営元の株式会社KI Strategy、サステナビリティ専門家に定額で相談できるSaslaも選択肢になる。社外の目を一枚挟むだけで、「やめたい力」と「死守すべき線」の境界はかなり見えやすくなる。
本記事は2026年6月時点の公開情報(金融庁、カリフォルニア州大気資源局/Sustainable Japan、欧州議会・理事会/デロイト トーマツ、環境省、KPMGジャパン、大和総研、Persefoni、South Pole、脱炭素技術センター等の各リリース・解説)をもとに整理した。各制度は進行中のため、適用判定や開示方針の最終確認は各当局・基準設定主体の最新リリースで行うことを推奨する。
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