医薬品業界のESGは、PSCI(製薬サプライチェーン・イニシアチブ)、抗微生物薬剤耐性(AMR)、医療廃棄物、アクセス・トゥ・メディスン、製造プロセス排水、Scope3カテゴリ11/12など、業種固有の論点が並びます。製薬・医療機器・流通の担当者向けに見ていく。
医薬品・ヘルスケア業界のサステナビリティー担当者の方とお話しすると、他業種とはやや違う論点の並び方が見えてきます。気候変動・脱炭素は当然重要なのですが、それと並んで、もしくはそれ以上に、業種固有のテーマが議論の中心になることが多い、というのが実感です。
具体的には、抗微生物薬剤耐性(AMR、Antimicrobial Resistance)――抗生物質の過剰使用と製造プロセス排水による細菌耐性の拡大――、途上国・低所得国への必須医薬品の供給というアクセス・トゥ・メディスン、プラスチック包装・注射器や針・医療機器・未使用医薬品といった医療廃棄物、有機溶剤・化学物質・API製造排水を含む製造プロセスの環境影響、API・賦形剤の上流やCMO委託先のサプライチェーン労働環境、そして医薬品の偽造・流通管理。このあたりが、気候・脱炭素と並ぶ重要論点として、製薬・医療機器メーカーのマテリアリティ・マトリクスに、はっきりと並びます。
ここでは、医薬品・ヘルスケア業界のESG論点を整理し、業界自主取り組み(PSCI等)、規制動向、担当者の方向けの実装ステップを通します。
医薬品業界のマテリアリティ・マップを描くとき、気候・自然・人権・人的資本・ガバナンスといった汎用ESG論点に加えて、業種特有論点が必ず入ってきます。業種特有論点には、次のようなものがあります。
これらは、汎用フレーム(IFRS S2/SSBJ、SBTi、TNFD等)では拾えない、業種固有のマテリアリティです。
医薬品業界のサプライチェーンESGの中核は、PSCI(Pharmaceutical Supply Chain Initiative)です。2006年に設立され、グローバル大手が名を連ねるイニシアチブで、労働・健康安全・環境・倫理・マネジメントシステムの5領域からなる原則(Principles)、サプライヤー監査の標準化(PSCI Audit Sharing Initiative)、能力構築プログラム(capability building)、業界横断のサプライヤーデータベースを提供しています。
PSCIの監査結果は、加盟企業間で共有可能なため、サプライヤー側の重複監査負担を軽減する仕組みになっています。
日系製薬大手(武田薬品、アステラス、第一三共、エーザイ、塩野義、中外、大塚、田辺三菱、住友ファーマ等)も、PSCIに加盟・参画しています。
担当者の方は、自社のPSCIへの関わり方(加盟、参画、監査の活用)を、サプライチェーン人権DD(弊社過去記事「CSDDD後の人権DD実装」もご参照ください)の中核に位置づけることをおすすめします。
AMRは、WHOが「Silent Pandemic」と位置づける、世界的な公衆衛生課題です(WHO)。AMRへの対応が進まない場合、2050年までに年間1,000万人規模の死亡と、累計100兆ドル超のGDP損失が生じうるとの試算が、広く引用されています。
製薬企業のAMR対応では、API製造工場からの抗生物質含有排水が地域水系で細菌耐性を拡散させることへの排水管理、医療従事者・患者への教育やStewardship Programによる抗生物質の適正使用、商業性の低い新規抗生物質開発への投資やAMR Action Fund(2020年設立。製薬大手が拠出し、10億ドル規模で新規抗菌薬の開発を支える枠組み)への参画、ファージ療法・免疫療法・ワクチンといった代替治療法の研究が、論点になります。
AMR Industry Allianceは、業界横断のAMR対応イニシアチブで、製造排水の管理基準(PNEC:Predicted No-Effect Concentration基準)を提供しています。担当者の方には、自社のAPI製造工場・委託先工場(CMO)の排水管理が、AMR Industry Allianceの基準に整合しているかを点検することを、おすすめします。
医薬品アクセスの論点は、Access to Medicine Foundation(オランダ)が運営するAccess to Medicine Indexで、業界横断のベンチマーク評価が行われています。評価軸は、ガバナンスとアクセス管理体系、途上国の疾病や希少疾患を含む研究開発、価格設定・調達・寄付、特許・ライセンシング、サプライチェーンの強靭性です。
主要製薬大手(GSK、Novartis、Pfizer、Sanofi、Merck KGaA、Roche、AstraZeneca、武田、Bayer、Johnson & Johnson、Boehringer Ingelheim等)が、Index対象として2年に1度評価されます。
機関投資家、Access to Medicine Index、PRI署名運用機関のエンゲージメント、メディアからの参照頻度が高く、製薬業界のESG評価の主要指標の一つです。
医薬品・医療機器の包装、医療廃棄物(針、注射器、点滴バッグ、使用後医療機器)は、プラスチック・サーキュラーの論点に直結します。
EU PPWR(包装と包装廃棄物規則、2026年8月適用、弊社過去記事「サーキュラーエコノミー実装」参照)では、医薬品包装も対象(一部例外あり)とされ、リサイクル素材含有率、包装の最小化、リユース可能性の要件が、医薬品業界にも段階的に適用されます。
医療機器のEU MDR(Medical Device Regulation)と整合した、包装・廃棄物の管理体制が、業界全体で求められています。
担当者の方は、自社の包装・廃棄物・医療機器のサーキュラー戦略を、EU規制動向と整合させて、3〜5年計画で組み立てる必要があります。
医薬品の製造プロセスは、業種としては比較的エネルギー集約的です。特に、化学合成プロセスの熱・エネルギー集約性や有機溶剤の蒸留・回収を伴うAPI(原薬)製造、クリーンルーム・HVAC・滅菌を要する無菌製造、ワクチン・バイオ医薬品の低温保管・輸送を担うコールドチェーン、そしてプラスチック・ガラス・紙を使う包装が、Scope1+2の主要排出源になります。
主要製薬大手のSBTi目標を見ると(各社の目標水準はSBTiのダッシュボードで確認できます)、GSKは2030年までにScope1+2でカーボンニュートラルとScope3の削減(最終的にネットゼロ)、Novartisは2025年までにScope1+2・2030年までにバリューチェーン全体でカーボンニュートラル、武田薬品は2040年までにScope1+2+3でネットゼロ、Rocheは2050年までにネットゼロを掲げ、Pfizer・Merck・Sanofi等もそれぞれSBTi整合目標を持ちます。
これらの目標達成には、API製造の脱炭素、コールドチェーンの効率化、サプライチェーン全体の再エネ電力化が必要です。
CDP医薬品セクター質問書、SBTi化学・医薬セクター向けガイダンス(2026年公表予定)が、業界横断の標準を作っていきます。
医療機器・バイオ医薬品には、医薬品とは別の論点があります。
医療機器では、使い捨て機器(注射器、カテーテル、PPE)と再利用可能機器という製品ライフサイクル、電池・半導体・希少金属・eウェイストを伴う電子医療機器、分解可能性・修理可能性・リファービッシュといったサーキュラー設計、エチレンオキサイドガス(EtO)・放射線・蒸気による滅菌プロセスが論点です。
バイオ医薬品では、抗体医薬品・遺伝子治療・細胞治療、細胞培養というバイオプロセスの高エネルギー需要、−80℃保管も要するコールドチェーンの厳格性、バイオリアクター・培地・バイアル・ラベルにわたるサプライチェーンの複雑性が特徴です。
医療機器メーカーのESG戦略では、ELV指令類比のEnd-of-Life設計、サーキュラー、Scope3の各カテゴリへの対応が、医薬品メーカーとは異なる重みになります。
医薬品業界では、業界連合・自主取り組みが、ESGの実装を支えています。主要なイニシアチブには、次のものがあります。
これらの自主取り組みへの参画が、業界内での評価、機関投資家からの評価、規制対応の効率化につながります。
最後に、医薬品業界のサステナビリティー戦略で、避けたいパターンを一つ。
汎用ESGフレーム(IFRS S2/SSBJ、SBTi、TNFD)の議論を中心に、気候・自然・人権・人的資本・ガバナンスを並べたマテリアリティ・マトリクスを作って終わり、というアプローチは、医薬品業界の業種特性を捉えきれません。
AMR、医薬品アクセス、製品安全、医療廃棄物、サプライチェーン人権DD――これらの業種特有論点を、汎用ESG論点と同じ重みで戦略の中心に置くことが、医薬品業界の本筋です。
担当者の方には、
このあたりを、戦略の中で組み立て直すことをおすすめします。
形だけ汎用ESGに合わせるのか、業種特性を踏まえた医薬品業界独自のサステナビリティー戦略を作るのか。担当者の方の意識付けで、その後数年の戦略の説得力が、確実に変わってきます。
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