食品・繊維・金融・IT・商社で、サステナビリティー・マテリアリティの中身は大きく異なります。SASB業種別基準・IFRS S2 Industry-based requirements・ESRSセクター基準を踏まえ、業種別の優先論点とKPIの違いを、担当者向けに取り扱う。
サステナビリティーやESGのフレームワークは、汎用的な総論の解説が多くなりがちですが、現場で実務をやっている担当者の方からすると、「で、自社の業種にとって何が一番重要なのか」が、結局一番知りたいところだと思います。
「マテリアリティ(重要課題)」を業種で見渡すと、表面的には似たような項目(気候、人権、人的資本、ガバナンス)が並んでいても、深掘りすると業種ごとに重みが大きく違います。食品メーカーが気にする論点と、金融機関が気にする論点と、ITサービス企業が気にする論点は、同じ「気候」というキーワードでも、まったく違う動きを要求します。
ここでは、SASB Standards(ISSB傘下、77業種別の業種別マテリアリティ)、IFRS S2のIndustry-based requirements、ESRSのセクター別開示基準を踏まえつつ、食品・繊維・金融・IT・商社の5業種について、優先マテリアリティの違いを並べていきます。自社のマテリアリティ再評価のときの、補助線として使っていただければと思います。
業種別マテリアリティを整理する基準は、大きく3つあります。SASB Standards(ISSB傘下、Sustainability Accounting Standards Board)は、77業種別にSustainability Topics(5〜15のマテリアル論点)とAccounting Metrics(定量指標)を提示します。IFRS S2のIndustry-based requirementsは、SASBをベースに業種ごとの開示要件を組み込み、IFRS S2/SSBJ整合の開示で参照されます。ESRSセクター別基準は、CSRDのセクター別基準として順次策定中で、横断基準(ESRS 1〜2、E1〜E5、S1〜S4、G1)とセクター別基準が組み合わさる構造です。
これらを、自社の業種に応じて組み合わせて使う、というのが現実的なアプローチです。SASB/IFRS S2のSustainability Topicsを起点に、ESRSの影響マテリアリティと突き合わせる、という二段構えが、ご支援先の現場では一般的です。
食品業界(食品製造、飲料、外食、食品小売)のマテリアリティで、他業種にない強い特徴は、次のとおりです。
SASBの食品関連業種(Agricultural Products、Meat/Poultry/Dairy、Processed Foods、Non-Alcoholic Beverages、Restaurants等)のSustainability Topicsを見ると、上記の論点がほぼそのまま並んでいます。
TNFD・SBTNの自然関連目標が、食品業界では「気候より先に重要論点に上がってくる」可能性が高い業種です。SBTN対象業種の判定でも、食品関連は早期から該当します(弊社過去記事「SBTNで自然関連目標を立てる」もご参照ください)。
繊維・アパレル業界は、サステナビリティー論点の縦の長さが、業種の中でも特に長いです。
上流(原材料調達・染色・縫製)の論点は、次のとおりです。
中流(流通・小売)では、次が論点です。
下流(消費・廃棄)の論点は、次のとおりです。
EUのESPR、PPWR、テキスタイル戦略(EU Strategy for Sustainable and Circular Textiles、2022年)では、繊維業界がサーキュラーエコノミー転換の主要ターゲットの一つに据えられており、規制対応の負荷が業種としても重い局面です。
ある繊維企業(欧州大手アパレルとの取引あり)のご支援では、EU向け輸出を機会に、上流のサプライチェーン人権DD・化学物質管理(ZDHCのMRSL、Manufacturing Restricted Substances List)・下流の回収プログラムを、3年計画で整備しています。
金融業界(銀行、保険、運用機関、証券)のマテリアリティは、自社の事業活動より、投融資先(バリューチェーン)の影響が、圧倒的に大きい構造です。主要マテリアリティは、次のとおりです。
PCAF(弊社過去記事「PCAFとファイナンスドエミッション」)、SBTi-FI、NZBA/NZAOA/NZAM、TNFDの金融機関ガイダンスなど、金融機関向けの専門枠組みが、急速に整備されてきました。
担当者の方には、まずはファイナンスドエミッションをPCAFで算定し、投融資ポートフォリオの脱炭素・自然関連の影響を可視化することが、出発点になります。
IT・通信業界のマテリアリティは、ここ2〜3年で急変しました。伝統的論点は、次のとおりです。
新興論点は、次のとおりです。
データセンターの電力消費は、業界全体でみても急増しており、再エネ電力調達(PPA、Q_ppa記事参照)、電力効率化(PUE)、24/7マッチングなどが、業界共通の論点として深まっています。AIガバナンスは、ITサービス企業の自社業務と、顧客企業へのサービスの両面で、マテリアリティの中核に上がってきました。
総合商社のマテリアリティは、独特の構造があります。商社は事業会社(自ら原材料・製品の取扱いを行う事業者)であり、同時に投資会社(多様な事業会社への投資を通じてポートフォリオを構成する投資家)でもある、という二重性があるためです。主要マテリアリティは、次のとおりです。
商社は、業種横断のマテリアリティ・マップを持たないと、自社の優先論点が拾えません。一般的な業種別フレーム(SASBの「Trading Companies & Distributors」だけ)では、影響範囲を捉えきれない構造があります。
ある非鉄金属系の専門商社のご支援では、自社の事業ラインを「事業会社としての脱炭素」「投資先ポートフォリオの脱炭素」「サプライチェーン人権DD」「自然関連DD」の4軸で再整理し、それぞれを別の動線で運用する設計に切り替えました。
業種別マテリアリティの実務的な活用ステップを、いくつか紹介します。
ステップ1:SASB/IFRS S2 Industry-based requirementsで、自社業種のSustainability Topicsを抽出。 SASB Standardsの77業種から自社の主要事業ラインに該当する業種(複数該当する場合は複数)を選び、Sustainability Topicsを一覧化します。これが、財務マテリアリティ起点の論点の出発点になります。
ステップ2:ESRSのセクター基準・横断基準と突き合わせ、影響マテリアリティ起点の論点を補完。 CSRD適用予定の有無に関わらず、ESRSの影響マテリアリティの考え方を使うと、自社のバリューチェーン上で「人・社会・環境に与える影響」を、SASBでは拾い切れない粒度で整理できます。
ステップ3:自社のバリューチェーン分析から、業種固有の論点を追加。 業種フレームでは出てこないが、自社固有の事業構造(地域、製品、顧客、サプライヤー)から出てくる重要論点を、必ず数項目入れます(弊社過去記事「マテリアリティ特定が形骸化する三つの典型」の処方箋①参照)。
ステップ4:ステークホルダー対話で、外部視点を反映。 機関投資家、顧客企業、従業員、サプライヤー、規制当局、NGO、地域コミュニティの順で、対話の重み付けを変えながら、各論点の優先順位を調整していきます。
ステップ5:マテリアリティを運用OSに乗せる。 特定したマテリアリティを、四半期に一度の経営会議レビュー、中期経営計画レビュー、投資家対話の反映ループで、3〜5年単位で動かしていきます。
業種別マテリアリティに集中すると、業種を超えた共通論点(メタ論点)を見落としがちなので、最後に取り上げます。業種を超えた共通論点には、次のものがあります。
これらは、業種別マテリアリティの周辺で、機関投資家・規制当局からの問い合わせとして上がる頻度が高い領域です。業種別の優先論点と、メタ論点の両方を、自社のマテリアリティ・マップに組み込んでおくことをおすすめします。
最後に、業種別マテリアリティの実装で、避けたい落とし穴を一つ。
業種別フレーム(SASB、ESRS、業界団体ガイドライン)に沿ってマテリアリティを並べると、結果的に同業他社と似たり寄ったりのマテリアリティ・マトリクスができあがる、という現象がよく起きます。「業種共通項を埋めたら、自社固有の論点が薄まった」というパターンです。
これを避けるには、業種フレームから抽出した論点と自社のバリューチェーン分析から出た論点を別の列で管理し、自社固有論点を必ず数項目入れ、経営層との議論で業種フレームの論点と自社固有論点の優先順位を別の物差しで議論することが、効きます。
業種別マテリアリティは、出発点としては有効ですが、ゴールではありません。担当者の方が、自社の固有性をどこまで折り返して語れるか。ここが、形だけマテリアリティと、運用OSとして機能するマテリアリティを、分けるところだと思います。
【ご相談窓口】 弊社(株式会社KI Strategy)では、業種別マテリアリティの分析、ダブルマテリアリティ評価、SASB/IFRS S2/ESRSとの統合の伴走支援を実施しています(専門家プラットフォームSasla経由のご相談も可)。マテリアリティの再特定や深掘りでお悩みの方は、お話を聞かせていただければと思います。
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