「お願いしても事業部が動かない」——その原因は担当者の力不足ではなく、推進室がP/L責任なき横串組織として設計された構造のねじれにある。本稿は、権限の空白を「決議事項化」で埋め、お願いベースを公式権限に変える実務の型を整理する。
「巻き込みが大事だと分かってはいるんです。でも、お願いしても事業部が動かなくて」——私たちが推進担当者から最も多く聞く言葉のひとつだ。打ち手として返ってくるアドバイスは、たいてい「経営の理解を得よう」「社内アンバサダーを増やそう」という精神論に着地する。間違ってはいない。だが、それで動くなら最初から困っていない。
本当の問題は、もっと手前にある。そもそも、あなたには事業部を動かす権限が設計上与えられていない。 進まないのは頑張りが足りないからではなく、権限と利益責任が構造的にねじれているからだ。本稿はその診断から始め、「権限がないまま社内を動かす」ための実務——公式権限の借り方——まで降ろす。核心の問いはひとつ。あなたの推進室は、誰の権限で動いているのか。
多くの企業のサステナビリティ推進室は、2021年6月11日に施行された改訂コーポレートガバナンス・コードを契機に新設された(日本取引所グループ)。この改訂で、取締役会はサステナビリティを巡る課題を「リスクの減少のみならず収益機会にもつながる重要な経営課題」と認識し積極的に取り組むべきとされ、プライム上場企業にはTCFDまたは同等の枠組みに基づく気候変動開示の充実が求められた(金融庁)。
ここで多くの企業が選んだのが、既存のライン組織(事業部・経営企画・IR)に横串を通すスタッフ型の推進室という形だ。後付けで、横断的に。これ自体は合理的な選択だった。だが副作用がある。横串組織は、定義上、自前のP/L(損益責任)を持たない。プロフィットセンターとして設計されていない。
P/L責任がないとは、つまり事業部に対して「やれ」と命じる正式な根拠を持たないということだ。事業部長は自部門の数字に責任を負う。その彼に、数字の責任を負わないスタッフが「Scope3のデータを出してください」と頼む。相手にとっては本業の外側の追加作業でしかない。だから後回しになる。これは相手が非協力的なのではなく、指揮命令系統が通っていないという構造の問題だ。
私たちが相談の現場で最も多く目にする失敗は、この構造的な権限の空白を、担当者個人のコミュニケーション努力で埋めようとして消耗していくパターンである。人柄や熱量で一時的に動かせても、再現性がない。異動すれば元に戻る。
打ち手は体制によって変わる。最初にやるべきは、自社がどちらかの判定だ。
| ライン型 | 横串(スタッフ)型 | |
|---|---|---|
| 位置づけ | 事業部門の中、または独立部門 | 経営企画・サステナ推進室など横断スタッフ |
| 指示権限 | あり(部門長の権限が及ぶ) | なし(他部署へは依頼ベース) |
| P/L責任 | 持つ場合がある | 基本的に持たない |
| 動かし方 | 通常の業務命令 | 公式機関の権限を「借りる」 |
| 典型的な詰まり | リソース不足 | 事業部が動かない・優先されない |
横串型なら、自分で権限を作ろうとしても無理がある。他者の権限を借りるのが正攻法になる。借りる相手は二つ。一つは個人としての役員スポンサー、もう一つは機関としてのサステナ委員会・取締役会だ。順に見ていく。
横串型の推進担当が最初に確保すべきは、明確な担当役員(スポンサー)である。ここで効くのが、いま起きている制度変化だ。
2026年2月20日に公布・施行された開示府令(企業内容等の開示に関する内閣府令等の改正)により、平均時価総額3兆円以上の企業は2027年3月期から、1兆円以上3兆円未満の企業は2028年3月期から、SSBJ基準に沿ったサステナビリティ情報を有価証券報告書に記載することが義務づけられた(金融庁)。有価証券報告書は会社が法的責任を負って提出する書類だ。つまりサステナビリティ開示は、経営トップが当事者として責任を負う法定業務になった。詳しい義務化スケジュールはSSBJ基準の解説で整理している。
これは推進担当にとって、役員を当事者化する強力な梃子になる。「やった方がよいCSR活動」なら役員は片手間でいい。だが「やらなければ有報のサステナビリティ欄が埋まらず、不十分な開示として投資家・監査の目に晒される業務」なら、役員は逃げられない。スポンサーを口説くときの言葉を、善意への訴え(「サステナビリティは大切です」)から、リスクと責任の翻訳(「2027年3月期の有報で、この欄は誰の責任で埋めますか」)へ切り替える。これだけで会話の温度が変わる。役員説明への翻訳のコツは取締役会で通すESGの語り方でさらに詳しく扱う。
スポンサー個人の後ろ盾は強力だが、属人的だ。より再現性が高いのは、機関の決定を借りること。具体的には、サステナビリティ委員会や取締役会の議題に載せ、「決議事項」または「報告事項」として正式に決定・確認してもらう。
なぜこれが効くのか。お願いと決議は、相手にとって性質がまったく違う。
同じ依頼でも、根拠が「私の依頼」から「会社が決めたこと」に変わると、事業部の動き方が変わる。あなたは決定を作る人ではなく、決定を運ぶ人になる。権限を持たない担当者が、機関の権限を実質的に行使する——これが「権限の借用」の核心だ。
実装の順序はこうだ。第一に、委員会・取締役会で決めてほしい事項を、決められる粒度に砕いて起案する(「サステナビリティを推進する」では決議にならない。「2027年3月期開示に必要なScope3カテゴリの算定体制を、対象事業部の協力義務とともに整備する」まで具体化する)。第二に、スポンサー役員を通じて議題化する。第三に、決議されたら議事録・社内通知を根拠文書として確保し、それを引いて事業部に動いてもらう。マテリアリティの特定や見直しを委員会の決議事項として通しておくと、その後の個別施策がすべて「決まった重点課題への対応」として正当化される。マテリアリティこそ、最初に決議化を狙う価値が最も高い議題だ。
ここで一点、楽観への違和感を述べておく。「決議事項にすれば自動で回る」と書く解説をときどき見るが、現場はそう単純ではない。決議は権限の根拠を与えるが、実行のモニタリングがなければ事業部はまた後回しにする。決議化はスタートであって、ゴールではない。
権限調達の正当性は、いま制度の側からも補強されつつある。
役員報酬の側面では、ESG指標を役員報酬に反映する動きが進んでいる。TOPIX100構成企業では役員報酬にESG要素を反映する企業が74%に達した(2022年調査52%、2023年調査66%からの上昇。デロイト トーマツ「有価証券報告書における開示実態調査2024」2024年8月30日)。母集団を広げても、短期または長期インセンティブのいずれかにESG指標を組み込む企業はプライム上場全体で27%、売上1兆円超では67%に上り、いずれも前年から4ポイント増えた(三井住友信託銀行・デロイト トーマツ『役員報酬サーベイ(2025年度版)』2025年10月21日)。役員自身の報酬がサステナビリティの達成にぶら下がるなら、役員は推進の傍観者でいられない。報酬制度は、トップを当事者にする外圧として機能する。
ガバナンスの側面でも追い風がある。2026年4月10日、金融庁と東京証券取引所はコーポレートガバナンス・コードの改訂案を公表した(金融庁)。今回の改訂案はプリンシプル化・スリム化が主眼で、サステナビリティの扱いや取締役会・取締役会事務局の機能も論点に含まれ、パブリックコメントを経て確定する見通しだ。改訂の方向性と推進担当が備えるべき論点は2026年CGコード改訂の読み方で詳述した。コードが取締役会にサステナビリティへの実質的関与を求めるほど、推進担当が委員会・取締役会の権限を借りる正当性は強まる。
人的資本の領域は、権限調達のテンプレートとして特に分かりやすい。女性管理職比率・男女賃金差異は女性活躍推進法、男性育休取得率は育児・介護休業法という個別の根拠法に基づく公表義務があり、これらの指標は2023年3月期以後の有価証券報告書から記載が求められている(2023年1月31日公布・施行の改正開示府令による。実務整理は人的資本開示の実務で扱う)。「法律で出さなければならない数字」は、事業部にとっても断りにくい。法定義務を盾にすると、お願いが指示に変わる。この構造を、人的資本以外の領域にも応用するのが、権限なき担当者の現実的な戦い方だ。
サステナビリティ推進が進まない本当の理由は、担当者の巻き込み力ではなく、推進室がP/L責任なき横串組織として設計された構造のねじれにある。だから処方箋も「もっと頑張る」ではない。自分で権限を作るのを諦め、既にある公式権限を借りる。役員スポンサーを取り付け、サステナビリティ委員会・取締役会の決議事項に載せ、「お願い」を「会社が決めたこと」に変える。2027年3月期からの法定開示、ESG連動報酬の広がり、CGコード改訂——これらは、トップを当事者化し、あなたの権限調達を正当化する梃子になる。
推進体制がライン型か横串型かの見極め、決議事項化に向けた起案の組み立て、役員スポンサーの口説き方など、社内だけでは設計しにくい論点では、当サイト運営元の株式会社KI Strategy、およびサステナビリティ専門家に定額で相談できるSaslaもご活用いただける。一人で背負わず、外の権限と知見を借りるのも、立派な権限調達だ。
本記事は2026年6月時点の公開情報(金融庁、日本取引所グループ・東京証券取引所、デロイト トーマツ、三井住友信託銀行の各リリース・解説)をもとに整理した。開示府令の運用やコーポレートガバナンス・コードの改訂は進行中のため、義務化スケジュールや制度の最終確認は金融庁・東京証券取引所の最新リリースで行うことを推奨する。
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